怒りについて

人は、身体的・精神的危険にさらされたり、人の行動が自分の価値観や概念と異なる場合に怒りを感じます。他人の行動だけではなく、自分の行動が自分のあるべき姿と異なる場合にも、怒りや落胆といった感情を抱く場合もあります。

同じ現象を目にしても、怒りを感じる人と感じない人がいることからもわかるように、現象をどう捉えているかによっても怒りを感じるかどうかは異なります。

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人はなぜ怒りという感情をもっているのか

人は怒りを感じるとアドレナリンが分泌されます。アドレナリンには心拍数や血圧の上昇、呼吸数の増加、痛覚の鈍化などの作用があり、狩猟など人が獲物を捕獲するときと同様の状態となります。身体が活動を行う体制が整い、怪我をしても痛みをあまり感じず、恐怖さえもねじ伏せる事ができるという、一言で言えば戦闘態勢に入るのです。

アドレナリンの分泌は、最高のパフォーマンスを発揮するための機能であると同時に、自分自身や自分の大切なものを守るための機能であると考えることができます。しかし、狩猟は生きるための方法であり、闘争本能という言葉は当てはまりそうですが、怒りとはやや異なります。

現代社会において、怒りの要因として最も多いと考えられるものは、社会的自己を傷つけられることと、ものごとが自分の思い通りにいかないことです。

怒りのほとんどは恐怖の裏返しであると考えられています。自分の価値観や考え方、意見を否定され社会的な立場を脅かされたり、自分の言いたいことがうまく伝わらなかったり、理不尽な要求をされたり。これらはすべて「自分の能力が低い」と他人に思われてしまう恐怖を回避するための反応であると解釈できます。ものごとが思い通りに進まないことも、自分の能力が低いことを認めたくないという心理によって、自分以外のものに責任を転化しているのです。

これらをまとめると、怒りは恐怖という感情の別の側面であり、一方が顔を見せるともう一方は見えなくなる。常に恐怖を感じていると健康状態に支障が出てしまうので、怒りという感情でアドレナリンを分泌し健康状態のバランスを保っていると考えることができます。

怒りを感じやすいのはどんな人か

先にも書いた通り、怒りは恐怖や不安の裏返しです。社会的地位や信用を失うことへの恐怖が怒りを生み出しています。つまり、他人の評価を気にする人が怒りを感じやすいと言えます。

単純に他人の評価を気にするだけではなく、心に余裕がなくいつも時間に追われているせっかちな人に怒りを感じやすい人は多いように思います。これは時間を失うことへの不安がせっかちにさせているのだと言えます。

怒りを鎮めるにはどうすればよいのか

怒りの感情は冷静な判断力を失わせます。怒り任せの行動は自分の不利益になることがほとんどです。それなら怒りを我慢すれば良いのかと言うとそうではありません。人間は何かを我慢すると、他のことが我慢できなくなるということがわかっています。

心理学では「制御資源」という考え方があります。人は制御資源を使用することで感情をコントロールし何かを我慢することができるが、この制御資源には限りがあり、枯渇すると感情をコントロールできなくなるとされています。

怒りは我慢するのではなく、鎮めるか、最初から感じないのが望ましいのです。

怒りのリスクを考える

あなたがもし、誰かに対し怒りを感じて仕返しをしたらどうなるでしょうか。一時的にあなたの気持ちは治まるかもしれませんが、これが慢性化すると高血圧に伴う病気により、あなたの健康を損なうことになります。さらに相手が仕返しをしてくれば、新たな怒りを生み出し悪循環へと陥ります。仕返しをしたことが他の人に知られれば、あなたは信用を失うかもしれません。

怒りを感じている時間、仕返しを考えている時間を他のことに当てたほうがよっぽど有意義な時間を過ごせます。仕返しをすることは自分自身を傷つけるだけでなく、自分の時間もドブに捨てていることになるのです。

もしあなたが相手との関係を修復したいと思っているなら、相手も同じ気持ちである可能性が高いので、自分から動くことを忘れてはいけません。怒りの感情は大人も子供も変わりありません。子供の喧嘩のように「次の日には仲良く遊んでいた」なんてことも、大人の世界では多いのです。

もし相手が誰に対しても「嫌な奴」であるなら、関わらないことです。嫌いな人間に一分たりとも頭を悩ませるのは時間の無駄です。仕返しをすることは、嫌いな相手に自分の命を捧げているのと同じことなのです。

見返りを求めない

私が以前働いていた会社の社長がこんなことを言っていたそうです。

「この不況の中でボーナスを払ったのに、なぜ誰もお礼を言わないんだ」

私は朝礼のときに「社長がこうおっしゃっていたから、社長にあったらお礼を言うように」と上司から聞かされました。

見返りを求めて行動したときに限って、誰にも感謝されないことはよくあることです。むしろ感謝されないことのほうが多く、それが当たり前なのです。

感謝の気持ちが生まれるかどうかは周りの人の接し方にもよります。「私はこれだけのことをあなたにしたんだ。感謝しなさい」と言われて感謝の気持ちが生まれるでしょうか。感謝の気持ちを持って相手に接すれば、相手も感謝の気持ちを持ってくれます。

ただし、見返りを期待してはいけません。見返りを求めて行動すると、その期待を裏切られたという感情が芽生えてしまい怒りへと発展する恐れがあります。相手に報酬を期待せず、報酬は自分自身で作りましょう。

他人の批判は感情で聴かない

今はブログやSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)で自分の意見を簡単に世界へと発信することができ、それを閲覧することもできます。人の意見を聴くことは大切ですが、中には批判ではなくただの悪口を書き込む人もたくさんいます。この人たちは、誰かに相手にして欲しいだけか、ただの暇人です。このような人に自分の時間を捧げる必要はありません。

他人の批判は感情で聴いてはいけません。感情で聴けば喜び、哀しみ、怒りなどの感情が湧き起こります。批判は自分を高めるための道具として使うのです。今後の中で生かせる批判や参考になる意見はどんどん取り入れ実践していきます。逆にこれは自分には必要ないと感じれば流します。当然、悪口は何の参考にもなりませんから無視します。

このような考え方が自然とできるようになれば、怒りや哀しみなどの感情に振り回されることはありません。

怒りの方向を変える

ハングリー精神は怒りとは異なりますが、根っこの部分が怒りであることもあります。その相手が特定の誰かである場合もあれば、世間という実体の無いものである場合もありますが、共通しているのは高いエネルギーです。

ハングリー精神を持つ人はこのエネルギーを人には向けず、自分を高めるために使っています。誰かがミスをしてもそれを人のせいにはしないで、自分が努力すれば解決できると考えるのです。

誰かがミスをしても「ちょっとまてよ。私がこうしておけば彼はこんなミスはしなかった」「こんな行動は取らなかった」と考えれば、他人に対して怒りが芽生えることもありません。

「人を動かす」などの著者であるデール・カーネギーは、自著の中でこんなことを言っています。

「私はかつて自分の問題をよく人のせいにしたものだが、歳を取り知恵をつけるに従って、結局自分の身に降りかかる不運はすべて自分のせいなのだということに気がついた。歳を取ると、多くの人びとがそう気づくものなのだ」(D・カーネギー 田内志文(訳)「新訳 道は開ける」角川文庫)

私は二十代の頃、似て非なる考え方をしていました。

「自分が犠牲になって努力をすれば、周りの人間が何もしなくても問題は解決する」

私はデール・カーネギーの言葉と出会い、自分が犠牲になっているのではなく、それらは自分が蒔いた種だったのだと気づきました。

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