電気と磁気

〜ふたつでひとつ〜

目で見ることのできない電気と磁気は、現代人の我々にとっても不思議な現象です。ガリレオが登場するまで研究が進まなかったのもうなずけます。ただし、古代エジプトの文献には、電気を発生させる魚類がいたことが記述されており、古代ギリシャではタレスが、琥珀をこすると羽のような軽いものを引き付けることを発見しています。タレスの場合はこれを磁力だと思っていたそうです。ということは、この時代にすでに磁石についての知識があったことになります。

電気と磁気の父

時代は飛んで16世紀、ウィリアム・ギルバートは当時のイギリスでは有名な医師であると同時に、優秀な科学者でもありました。アリストテレスやプトレマイオスの考えをもとにした学校教育を拒絶した一人でもあります。

ギルバートは「方位磁針の針がなぜ北を向くのか」と疑問に思い、実験によって地球自体が磁石であることを証明しました。ギルバートは他にも、琥珀以外でも樹脂やガラスなどをこすると物体を引き付けることを発見したり、その当時は静電気と磁気は同じ力であると考えられていましたが、静電気は時間が経つと消えるが、磁石の引き付ける力は時間がたっても消えないとし、静電気と磁気は異なるものであると結論付けました。ギルバートはこれらの研究を書籍として発表し、その後の電気と磁気の研究に大きな影響を及ぼしたことで、「電気と磁気の父」と呼ばれることもあります。

電気と磁気の躍進

ギルバート以降の電気と磁気の研究の歴史は歩みの遅いものでしたが、18世紀以降、加速的に電気と磁気に関する発見がなされました。スティーブン・グレイは電気が物体を通じて伝わることを発見し、さらに電気を通す導体と、電気を通さない不導体があることを発見しました。ベンジャミン・フランクリンは雷が電気であることを証明し、電気にはプラスとマイナスがあることを確認しました。

数々の発見がなされる中、18世紀の終わり頃、シャルル・ド・クーロンは、ねじりばかりという装置を発明し、微小な静電気の力を測定することに成功しました。この力はクーロン力と呼ばれるようになり、クーロン力は距離の2乗に反比例することを発見し、これをクーロンの法則と呼びます。クーロンは磁石でも同様の実験を行い、磁石の力も距離の二乗に反比例することを突き止めました。この「距離の二乗に反比例する」は、ニュートンの万有引力と同じもので、これらの力は同じものではないかと推測されましたが、この時点ではそれを証明することはできませんでした。

クーロンの法則が発見されたのと同じころ、生理学者のルイージ・ガルバーニはかえるの筋肉のある部分と別の部分に金属をつなげると、かえるの足が動くことを発見しました。それ以前に人間の身体に電気ショックを与えると、筋肉が動くことは知られていたので、ガルバーニはかえるにも電気が流れたと考え、電気が発生する仕組みがどこかにあるはずだと思い、それを探しました。最終的にガルバーニはかえる自体が電気を発生させていると結論付けました。

ガルバーニの実験を知り、疑問に思ったアレッサンドロ・ボルタは、「電気が発生するのは2種類の金属を使用したときだけ」ということに注目し、実験を行ないました。すると、2種類の金属を食塩水に浸けただけで電気が発生することを発見しました。ボルタはこの原理を利用し世界初の電池を発明しました。その電池はボルタ電池と呼ばれ、このボルタ電池を使用することで電気分解の発見につながり、その後各地で元素の発見ラッシュが起きました。ボルタ電池は化学分野で非常に大きな貢献をしました。

電気と磁気の関係

1820年、大学教授であったエルステッドは、講義中に電線に電流を流すスイッチを入れると、近くに置いてあった方位磁針の針が北ではない方向を指すことを偶然発見しました。この発見はヨーロッパ中に広まり、アンペールは電線の周りにどのような磁力が発生しているかや、その強さなどを実験によって明らかにしました。その内容は、電線の周りには電流と平行な方向には磁力が働いておらず、電流の方向に対して右回りに磁束線が走っていること、磁力の強さは電線に近づくにつれて強くなること、電流を大きくすると磁力が強くなることです。アンペールはこれらの事実をもとに定式化し、アンペールの法則と呼ばれるようになりました。アンペールは他にも、電線の近くに強い磁石を置き、電線に電流を流すと電線が曲がることを発見しました。

エルステッドとアンペールの発見を整理すると、「電流は磁界を生み出す」「磁界中に電流を流すと力が生まれる」。電気と磁気が密接に関わっていることが明らかとなり、科学者たちはこれらの組み合わせを変えることによって、電流を生み出すことが出来るかもしれないと考えました。しかし電流を生み出す方法はなかなか発見されず、アンペールの発見から10年近くが経ちました。

救世主

鍛冶屋の息子として生まれたマイケル・ファラデーは貧しく、高等教育を受けることができませんでした。ファラデーは製本職人として働いており、仕事の合間には科学の本を貪るように読んでいました。そんな中、ボルタ電池によって数種類の元素を一人で発見したことで名声を得ていたハンフリー・デービーが、一般の人々を対象とした講義の講演者として出席することを知りました。ファラデーはその講演を丹念にノートに取り、そのノートに手紙を添えてデービーに送り、弟子入りを志願しました。ファラデーのこの作戦は成功し、助手として雇われました。ファラデーは助手の時代からその頭角を現し、化学や電気磁気の分野で様々な発見をし、王立協会の会員となりました。そしてデービーの死から2年後、磁力の変化によって電流が流れることを発見し、多くの科学者が挫折した電流を生み出す方法、電磁誘導を発見しました。この電磁誘導の発見によって、電池がなくても電流を生み出すことができる発電機が発明されました。

アンペールやファラデー達の発見により、電気と磁気が密接にかかわっていることが証明され、数学が苦手だったファラデーに代わり、ジェームズ・クラーク・マクスウェルによって電磁誘導は定式化されました。マクスウェルはアンペールやファラデー達の発見をマクスウェル方程式としてまとめ上げ、電磁気学を確立させました。

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