光の謎

〜新時代への序章〜

光は不思議です。一瞬で遠くまで照らし、物体に当たると反射したりします。軽い物体に当たっても物体が動いたり吹き飛ばされたりしませんから、質量は無いように思えます。光が反射したり屈折したりすることは、古代ギリシャ時代には既に知られていました。しかし、光に関する研究が進んでいったのは17世紀のニュートンの時代からでした。

光の速さは有限

天文学者のオーレ・レーマーは木星の衛星イオが、木星に隠れる周期が距離によって異なるのは光の速さが有限であるからだと考え、計算の結果約22万km/sであるとし、光の速さが有限であることを初めて数字で示しました。

光は粒子か波か

同じ頃、ニュートンは太陽の光をプリズムに通すと様々な色の光に分散されることから、太陽の白色光は様々な色の光が混合したものであることを発見しました。また、ニュートンは光は粒子の集まりであると考えました。光は物体によって遮られるとくっきりと影ができますが、もし光が波であれば、物体に遮られてもその物体の裏側に回り込む、回折という波特有の現象が起こるため、くっきりとした影は出来ないというのです。

ニュートンの粒子説に対し、物理学者のホイヘンスは光と光がお互いにぶつかっても何の影響もなく真っ直ぐ進んでいくことから、光は波動であると考えました。もし光が粒子であれば衝突して向きが変わるはずだと主張しました。しかし万有引力などの発見によって名声を得ていたニュートンの粒子説の方が主流となり、ホイヘンスの波動説はその後100年間埋もれることになりました。

1805年、トマス・ヤングは光が波特有の干渉を起こすことを実験によって示し、一気に波動説が優勢となりました。ちなみにこの実験は、「ヤングの実験」「ヤングの干渉実験」と呼ばれるようになり、のちに現代人であるわれわれの常識さえもくつがえす実験へと発展します(ここでは省略)。

光が波である場合、それを伝える媒質が必要となります。海の波の媒質は水であり、音の媒質は空気です。光の媒質は何でしょうか?光は宇宙などの真空の空間も伝わってきます。科学者たちは真空中にも目に見えない何かがあると考え、それを「エーテル」と呼びました。

エーテルを探せ

ニュートンの光の粒子説に対し、波動説を唱えたホイヘンスもこのエーテルの概念を持っていました。しかし、惑星の軌道と万有引力の法則の計算結果が一致することから、エーテルは物質とは相互作用しないということになります。このような奇妙な物質を仮定するよりも、粒子説の方がすっきりしているように見えたことも、粒子説が指示された理由のひとつです。

しかし、ヤングの実験以降、光の波動説を指示する科学者が増えてエーテル探しは主流となっていきました。

それと前後して、他の分野でもエーテルの必要性が浮かび上がってきました。それは電気の分野でファラデーの近接作用説に端を発します。

ニュートン力学では万有引力を除くすべての物理的な力は、力を与える作用者と力を受ける物体との間に直接的な接触があることで力が伝わります。この当たり前の現象が近接作用です。それに対し万有引力はお互いが接触していないにも関わらず力が伝わります。これを遠隔作用と言います。

ファラデー以前は電気によって働く力(クーロン力)は遠隔作用であると考えられていましたが、ファラデーは近接作用として考えることができるのではないかと主張しました。例えば目の前にある軽い物体(紙や、ビニール袋など)に息を吹きかけると、軽い物体は吹き飛ばされます。物体に直接触れていないので遠隔作用のように思えますが、物体との間には空気が存在しており、この空気を媒体とした波が発生し伝わることで物体に力が加わっているので、これは近接作用となります。ファラデーはクーロン力もこれと同じ現象なのではないかと考えたわけです。

しかしクーロン力は真空中でも力が伝わります。波が伝わるには媒質が必要です。ファラデーの近接作用説を信じる科学者たちは、何もないと思われている真空には波を伝える媒質があるはずと考え、ここでもエーテルの概念が持ちだされたのです。

多くの学者たちが血眼になってこのエーテルを探しましたが、一向に発見される気配はありませんでした。それがクーロン力の媒質探しから光の媒質探しへと変わっても結果は同じでした。

光の正体

1868年にマクスウェルは電場と磁場の変化によって形成される波(電磁波)を理論的に予測し、その速度が光の速度とほぼ一致することから、光は電磁波の一種であると結論付けました。電磁波の種類は光(可視光線)のほかにガンマ線やX線、紫外線、赤外線、電波などがありますが、それらは波長の違い(又は発生機構の違い)によって分類されています。

光の速度が有限であるとおかしな現象があることに科学者たちは気付きました。恒星の中には太陽のように単独で輝いているのではなく、二つの恒星がお互いの周囲を回っている連星というものがあります。この連星の動きはニュートンの万有引力の法則と合致していることが確認されていました。しかし光の速度が有限だと考えると、何十光年、何百光年も離れている連星の観測結果が、万有引力の法則と一致することがおかしいのです。連星の一方の星が地球に近づいてくる方向に回っている場合、もう一方の星は遠ざかる方向に回っています。近づいてくる方向に回っている星が放つ光は加速され、遠ざかる方向に回っている星が放つ光は減速されるため、光に速度差が生まれ万有引力の法則とは一致しないはずなのです。この事実から光は加速されないことが判明しました。

1887年、エーテルの存在を確認するため、物理学者のマイケルソンとモーリーは地球の東西方向と南北方向とで、光の速度差を検出しようとする実験を行いました。地球の公転と同じ向きである東西方向に進む光は、公転方向に垂直な方向である南北方向に進む光に比べて、公転速度の分だけエーテルの影響を受けて速度が違って見えるはずです。ところが実験を行ってみると、東西方向の光と南北方向の光の速度差は測定器の誤差範囲内、つまり速度差が検出されませんでした。「エーテルが見つからないのは存在しないからだ」とう意見も少数ながらありましたが、それでも大多数の科学者はエーテルを探し続けました。

また、この実験も光が加速されないことを裏付けています。

光のもう一つの正体

19世紀後半、当時は溶鉱炉で鉄を作る製鉄業が飛躍的に発展していましたが、良質な鉄を作るのに溶鉱炉内の鉄の温度を正確に把握する必要がありました。何千度もある溶けた鉄を測定できる温度計は当時はありませんでしたので、溶けた鉄が放つ光の色で大まかに予測するしかありませんでした。そこで科学者たちは光の色と強さによって鉄の温度が何度になるのかを定式化しようと試みました。当時、光が波であることは証明されていましたので、その事実をもとに考えていくと光のエネルギー量が無限になってしまうのです。科学者たちは試行錯誤しましたが定式化することができず、時は19世紀最後の年になっていました。

ある光の中に、どんな波長の光が含まれていて、その波長の光はどんな強さを持っているかを調べたものを「光のスペクトル分布」と言います。色のついた物体を熱すると、その色に応じた波長の光を放ちます。これに対して、黒い物体を熱すると特定の波長の光を放ったりせず、温度の高低に左右される波長の光を放ちます。このような黒い物体から放たれる光は黒体放射と呼ばれます。科学者たちはこの黒体放射のスペクトルを調べることで、基礎理論を確立させようとしていました。

そして1900年、マックス・プランクは光のエネルギーは連続したものではなく、最小単位のエネルギーが存在すると考えることで、エネルギー量が無限になってしまう問題を解決できることに気が付きました。つまり、波であるはずの光が粒子的に振る舞うと言うのです。プランクの式は実験結果を正確に表しており、式の中に現れる光のエネルギーの最小単位である定数は、プランク定数と呼ばれるようになりました。プランク自身はこの時、実験結果をよく表す式であるが、実際に光が粒子的に振る舞うとは思っていなかったようです。

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