ワーキングメモリ

ハトやその他の動物の記憶を調べる実験課題として、古くから用いられているもので遅延見本合わせがある。

壁面に3つの反応キーがつけられた実験箱で、各試行前に2色のどちらかが中央のキーに照射され、ハトがこのキーをつつくと左右に異なる2つの色が照射されるというものである。試行前の中央に照射される色は見本刺激、その後の左右に照射される色は比較刺激と呼ばれ、見本刺激と同じ色の比較刺激のキーをつつけば食餌などの強化子が得られるようになっている。これは単純な「見本合わせ」課題であり、試行を続けるとハトなどはほぼ100%正しい選択を行えるようになる。

遅延見本合わせでは、見本刺激となるキーをつつくと消灯し、一定時間後に比較刺激となる左右のキーが点灯する。つまり、見本刺激が消え比較刺激が点灯するまでの時間、色を記憶しておくことができるかどうかを見ることができる。

見本刺激の色がワーキングメモリに保持されている時間は種によって異なっているが、基本的には遅延時間が伸びるほど正答率は下がっていく。ただし、ハトの場合には見本刺激の呈示時間が長くなるほど正答率が上がるという研究結果もあり、ワーキングメモリに保持できる時間は種の違いだけではなく、その他の要因によっても大きく左右される。


干渉

ワーキングメモリに保持できる時間に影響を与える要因のひとつとして干渉が挙げられる。干渉は大きく分けると順向干渉と逆向干渉の2つがあり、順向干渉は先に記憶したものが、新たな刺激を記憶するのを阻害する干渉で、逆向干渉は新しい刺激が、先に学習したものの記憶を阻害する干渉である。どちらの干渉もヒトを含む多くの動物で確認されている。

例えばハトの遅延見本合わせ課題で、遅延時間中に見本刺激とも比較刺激とも異なる色をキーに照射(妨害刺激)すると、見本合わせのパフォーマンスが低下する。妨害刺激が先に記憶した見本刺激に干渉する逆向干渉である。キーへの照射ではなく、実験箱を単に明るくするだけでもパフォーマンスは低下するため、驚きを伴うような予期せぬ刺激が記憶に干渉していることがわかる。

ヒトの記憶においても、例えば無意味綴りを記憶材料として呈示した直後に、簡単な計算問題をいくつか解いてもらうと、記憶のパフォーマンスは低下することが知られている。

系列位置効果

たくさんの項目を記憶しようとしたとき、初めのほうと終わりのほうの項目が記憶されやすいことが知られている。初めのほうが記憶されやすいことは初頭効果、終わりのほうが記憶されやすいことは親近性効果と呼ばれており、これらはまとめて系列位置効果と呼ばれている。

ライトらは、系列項目再認課題と呼ばれる方法で、ハト、アカゲザル、ヒトの系列位置効果を比較した。実験はサルの場合、レバーを下に押すと上のスクリーンに4つの刺激リストが順次表示され、短い遅延時間後、下のスクリーンにプローブ刺激が表示される。これが刺激リストにあったかどうかによって、レバーを左右に押すというものである。因みに、ヒトがこの課題を行うときの刺激リストには、言語化が困難な模様を用いている。

この課題を十分に訓練した後、遅延時間を変化させて系列位置ごとの正答率をグラフ化すると、種によって遅延時間は異なるが、曲線の形は種間で類似したものになった。すなわち、遅延時間が短いと系列の終わりのほうの正答率が上がる親近性効果が見られ、遅延時間が長くなると系列の初めのほうの正答率が上がる初頭効果が見られた。遅延時間をその中間にすると、初めと終わりの正答率が高くその間は正答率が低くなるU字型の曲線が得られた。

この結果から、種によって記憶を保持できる時間は異なるが、記憶の構造は類似していることがわかる。

展望的符号化と回顧的符号化

ヒトの記憶には、過去の出来事を覚えておく回顧的記憶と、「これから何をする」「明日はあそこに行こう」といった未来のこと考える展望的記憶とがある。ヒト以外の動物の場合にも、この2つの記憶を駆使しているのか、あるいは片方だけを使っているのかという問題が浮かび上がってくる。

ワーキングメモリの場合、この問題は、与えられた刺激がどのようなかたちで符号化され保持されているのかという問題に置き換えられる。遅延見本合わせ課題を例に取れば、見本刺激を見たことによって選択すべき比較刺激を予測しているのか(展望的符号化)、比較刺激を見ることによって先に見た見本刺激を思い出しているのか(回顧的符号化)ということである。

ハトのワーキングメモリ

ロイトブラットは、ハトによる条件性弁別課題においてこれらの証拠を見いだしている。この実験では青、オレンジ、赤の3つの見本刺激と、垂直線(0度の線)とほぼ垂直な線(12.5度の線)、水平線(90度の線)の3つの比較刺激が用いられた。正反応の規則は青なら垂直線、オレンジならほぼ垂直な線、赤なら水平線の組合せであった。

もしハトが展望的符号化をしているなら、見本刺激から線の傾きを予測し記憶していることになるので、垂直線とほぼ垂直な線で間違いが多くなるはずである。逆に回顧的符号化を行っているなら、見本刺激の色をそのまま覚えていることになるから、同系色の赤とオレンジの正反応である水平線とほぼ垂直な線での間違いが多くなることになる。

実験の結果は、よく似た比較刺激である垂直線とほぼ垂直な線での誤りが多くなっていた。これは線を見本刺激にし、色を比較刺激にした場合にも、類似した比較刺激間での誤りが多かったことから、ハトは展望的符号化を行っていると考えることができる。

ただし、弁別が簡単な見本刺激と弁別が難しい比較刺激を用いた場合、回顧的符号化が見られた研究もあるため、ハトも両方の符号化が可能で、課題に応じて使い分けていると考えられている。

ラットのワーキングメモリ

ラットの記憶を調べる場合、遅延見本合わせよりも自然環境に近い放射状迷路という課題がある。これは中央からアームが放射状に伸びた形の迷路になっており、迷路全体が床よりも高くなっていて壁がないため、部屋の内装を見渡すことができるようになっている。

典型的な実験では、8方向に伸びたすべてのアームの先端に餌が置かれ、迷路の中央に置かれたラットは餌を得るために迷路を探索していく。このとき、最も効率よく餌を得る方法は、各アームを一度ずつ訪れることである。つまり、ラットが一度訪れたアームを覚えておくことができるかどうかがこの課題の主旨である。因みに、アームには目印となる特徴がないため、ラットは部屋の内装を手がかりに記憶するしかない。

実験の結果、ラットは一度訪れたアームに入ることがほとんどないことがわかった。正確には8回アームに入って、7~8個の餌を得ることができている。アームを17本に増やしてもその比率はあまり変わらなかった。ただし、アームの数を48本まで増やしていく間に、徐々にそのパフォーマンスが低下していくため、ラットのワーキングメモリにも限界があることがわかる。

このようなラットの驚異的な記憶力を見せられると、記憶以外の何らかの方法を使っているのではないかという疑問が出てくる。ヒトがこのような単純な迷路を回る場合、ランダムにアームを訪れるのではなく、例えば時計回りにアームを回っていけば一度訪れたアームに入るという間違いはなくなる。しかし、ラットがこのような方法を取っているという証拠はどの研究からも得られていない。さらに、餌の匂いによってアームを選ぶ方法や、一度訪れたアームに匂いなどの目印を付ける方法も、いくつかの研究によって否定されている。ラットは部屋の内装のみを手がかりに記憶していることがわかる。

では、ラットは展望的符号化と回顧的符号化のどちらを用いているのか。ライリー、ブラウン、クックの実験では、12本のアームを使用し、12回のアームの訪問のうち、2、4、6、8、10回目の訪問後に15分間の中断を挿入した。このとき、6回目の訪問後つまりちょうど半分の位置での中断後に、誤反応が最も多く生じることがわかった。

この結果から、ラットは前半部分の訪問と後半部分の訪問で、回顧的符号化と展望的符号化を切り替えているのではないかと考えることができる。つまり、前半の訪問では一度訪れたアームを記憶しておき、後半の訪問ではまだ訪れていないアームを記憶しておくことで、ワーキングメモリを節約している。そう考えればワーキングメモリに最も負荷がかかる6回目の訪問後に、誤反応が最も多くなることも説明ができる。


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