感情と適応

「感情的になる」という言葉の使われ方からもわかるように、感情は理性と対置され否定的に受け止められることが多い。しかし近年の研究では、感情は環境に適応するために進化の過程で獲得されてきた心の働きという捉え方に変わってきている。例えば、身の危険を感じたときに闘うか逃げるかという選択を迫られることになるが、このとき恐怖感情と同時に生理的な変化も起こる。つまり、闘うにせよ逃げるにせよ、活動するのにより良い状態へ変化させることによって、生き延びる可能性を高めているのである。


指標としての感情

感情を現在の状況の指標として捉えるという考え方もある。ネガティブな感情は現在の状況に何らかの不都合があることを伝え、環境に注意を向けさせることによって、危険を回避したり、状況を改善しなければならないシグナルとして働く。一方、ポジティブな感情は自分の置かれている状況が安全であり、不都合がない状態であることを伝えている。そのためポジティブな状態にある人は、これまでの行動やものごとに対する理解の仕方に問題がないと解釈することによって、既有の知識に依存し、ヒューリスティック的思考を行いやすいというわけである。

自分の感情の予測

私たちは自分の将来を予測するとき楽観的になる傾向があるが、ネガティブ感情を引き起こすような嫌なできごとが起こった場合の感情の予測は実際よりも悲観的になりがちである。

ギルバートらの研究によると、失恋したことのない人が失恋したときのことを想像した場合、失恋の2ヶ月後でもかなりのショックが続いていると予想する。しかし実際には、2ヶ月後には失恋の影響はほとんどなく、予想しているほどショックは続かないとしている。

私たちはネガティブな感情を経験しても、時間の経過とともに回復していくことを知っている。しかし、将来の予測においてはこれらの情報を無視して判断していることになる。なぜこのようにネガティブな感情を過大視するのかについては、自己防衛のメカニズムではないかと考えられている。つまり、ネガティブな感情を過大視しなければ、なぜ失敗したのか、失敗しないためにどうすればよいのかを考えなくなり、致命的な問題を引き起こすおそれがあるため、このような環境に適応するようなメカニズムが備わっているということである。

対人感情

社会的環境の中で生活する人間にとって、他者に対する感情というのは重要である。他者を理解する際の中心次元となるのが対人感情であるとも言われている。人間関係の多くは、親密な関係を築くのに不適切な他者を回避し、適切な相手に接近するといった動機づけが対人感情によって行われる。

社会的にも身体的にも、自己を守るという意味ではネガティブな感情はとりわけ重要な意味を持つ。先にも述べた通り、ネガティブな感情は何らかの不都合を伝えるシグナルとして働くため、これに気がつかないとリスクを回避することができない。暴力的で反社会的な相手との関係を続けることは、損失のほうがはるかに大きく脅威的である。

表情認知の研究においても、笑顔に比べて怒り表情の正答率は高く、特に自分に向けられた怒り表情には敏感に反応する。ネガティブな感情というのは環境に適応するための重要な機能なのである。

進化という視点で見ると、怒り感情というのは社会環境に適応しないようにも見える。怒り感情は攻撃行動と密接に関係しており、多くの場合に攻撃行動はとらないほうが適応的である。しかし、絶対に攻撃してこない人間だと他者から見られることも、ある意味ではリスクを伴う。何らかの理不尽な要求をつきつけられたりしたときに怒り感情を示さないと、それが何度も繰り返されることになるため、結果的に損失につながる。怒り感情はこのような損失を防ぐための機能なのではないかと考えられる。

社会と感情

怒り感情は、個人ではなく集団や社会にとっての損失を防ぐためと考えることもできる。人は集団や社会の中で生活しているわけだが、人と人との関係の中には何らかのルールがある。それは法律や条例など明示的なルールだけではなく、道徳や倫理、文化などの暗黙的なルールもある。このようなルールから外れる行動を見聞きしたとき、それが自分に直接損失をもたらすものではなくても、私たちは不快に思い憤りを感じることがある。ルール違反を集団や社会にとっての脅威とみなし、更生させたり集団から排除したりすることで集団を守ろうとしているのかもしれない。


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