社会的認知の概略
人が自分や他者、あるいは社会的な出来事についてどのように考え、どのように理解しているのかは社会的認知と呼ばれる。社会心理学では社会現象がどのように起こるのかを扱うと同時に、人がその社会現象をどのように捉え、どのような影響を受けるのかということも研究対象となる。
社会的認知の4つの中心プロセス
社会的認知を考えるとき、いくつかのプロセスに分けると理解しやすい。一般的には注意、解釈、判断、記憶という4つの中心プロセスに分けられる。
注意
我々は目に入るものすべてを意識できているわけではない。これは視覚だけではなく聴覚や触覚などでも同じで、注意を向けなければ気がつかないことさえある。
例えば、マジシャンが観客の目の前で行うクロースアップ・マジック(テーブルマジック)がある。マジシャンは観客にトリックを見破られないように巧みに注意をそらすことで、不思議な現象が起きているかのように見せることができる。もし、あなたがこのトリックに気づいたとしたら、何も不思議な事は起きていない。トリックに気づかなかった人と気づいた人がこのマジックについて友人に話す機会があれば、全く違ったものになるであろう。
解釈
あなたの目の前に梅干しが乗ったお皿を置かれたら梅干しに注意を向け、おそらく唾液が出てくるはずである。しかし、梅干しを食べたことも見たこともない人であれば唾液は出てこない。これは梅干しに対する脳の解釈の仕方が異なるからである。
一般的に、日本人は欧米の人に比べ集団主義的傾向が強いと言われる。自信を持って自分の考えを主張し議論することは、欧米などの個人主義的傾向がある文化では人に良い印象を与えるが、アジアなどの集団としての調和を重視する文化ではあまり良い印象を与えない。同じ行動をとったとしても周りの環境や視点によって解釈の仕方は異なるのである。
判断
我々が情報を解釈するのは、現象や他者についての印象を形成し、何らかの決定を下す必要があるからだ。ヘビやクモなどの特定の種が毒を持っていることを知っていれば、むやみに近づいたりはしないのと同様に、自分に脅威をもたらす人物に好んで近づいたりはしないだろう。
得られた情報から導かれる答えがひとつしか無い場合はそれほど多くはない。情報をどう評価するかについては不確かであることが多いため、我々の判断の多くは推測ということになる。もちろん情報の数が多ければ推測の精度は高まるわけだが、人が一度に処理できる情報には限りがあるため、情報が多すぎても判断を誤ることがある。また、判断に関わるプロセスは必ずしも合理的な方法が取られるわけではないので、このあたりにも認知的な歪みの一端がある。
記憶
記憶は何に注意を向け、どのように解釈し判断するかに影響を与えることもある。先のマジックを例に取り上げると、マジックを学んだことのある人であれば、マジシャンのおかしな動きや不必要な動作に気づきやすいであろう。また、それに気づいたとしても、その動きが何を意味するのか記憶を基に正しく解釈しなければトリックにはたどり着けない。
ひとつのことに長く注意を向けたり、判断に時間をかけたりすると記憶に残りやすいため、注意、解釈、判断、記憶の4つのプロセスは互いに影響を与えていることがわかる。
認知の基本的特徴
非意識的過程
注意の項目で「我々は目に入るものすべてを意識できているわけではない」ことを述べたが、これは解釈や判断、記憶過程においても同様で、自分では意識することができない認知過程が存在する。これは一般用語として使われる「無意識」のことであるが、フロイトが使っていた精神分析の用語である「無意識」とは意味が異なっているため、ここでは非意識という語を用いる。
非意識の研究が活発化しだしたのはおそらく認知心理学の発展が大きいであろう。それ以前にも非意識の研究がなかったわけではないが、行動主義が心理学の主であったため、非意識的過程に焦点が当てられることはなかったように思われる。
現在の心理学では、この非意識的過程が心理学全般に表れているため、非意識的過程を研究することが心理学であるといっても大げさではない。例えば、ヒューリスティックは非意識的過程そのものであるし、プライミング効果や様々なバイアスの過程も通常は意識できないため、非意識的過程を通じて起こっていることがわかる。
客観的に観察することができる行動においても非意識的過程が働いている。このプロセスは文字通り意識できないわけだが、私たちはもっともらしい理由を作り上げて自分の行動の理由を説明する傾向がある。
例えば、ニスベットとウィルソンは、4足の全く同じストッキングを並べて品質の良いものを参加者に選んでもらう実験を行った。すると、4割の人が一番右側にあるストッキングを選択したのである。ストッキングはどれも同じなので、置いてある位置によって選ばれやすかったわけだが、参加者に理由を尋ねるとストッキングの品質に関するもっともらしい理由を挙げたのである。
行動の理由づけについては認知的不協和理論によって説明が可能であるが、いずれにせよ、私たちは自分が思っているほど自分の行動や選択の理由を把握できているわけではないのである。
認知資源
脳の主なエネルギー源はブドウ糖や酸素であると言われているが、これらは体内に無限に存在するわけではないことから、脳の認知能力にも限りがあることがわかる。心理学では、認知活動を行う際に何らかのエネルギーが消費されると考えられており、このエネルギーあるいはエネルギー源を認知資源と呼んでいる。
我々は自分にとって重要なことのために、普段は認知資源を節約して生活している。例えばあなたがゴルフに関心をもっていないとしよう。そこでゴルフクラブの広告が目に入ったとしてもおそらく注意を向けない。たとえ注意を向けたとしても「これを使えばどれくらい飛距離が伸びるだろうか?」「重さはどれくらいだろうか?」「価格は?」などと考えたりはしないだろう。ゴルフに関心のないあなたにとってこれらは重要なことではないし、あなたの生活に影響を及ぼすものでもない。
しかしあなた、もしくはあなたの友人が熱心なゴルファーだとしたら、ゴルフクラブの広告を見て「もし自分が使ったら飛距離は伸びるだろうか」「友人にプレゼントしたら喜ばれるだろうか」と考えるかもしれない。これらは「飛距離を伸ばしたい」「友人に喜んでもらいたい」という目的をもっており、目的を達成するために認知資源を使っているのである。
ここまで「自分にとって重要なこと」という言葉を使ってきたが、これは何らかの動機がある、あるいは目的をもっているということである。つまり、動機によって思考スタイルが変わるのである。
この広告の例と同様に、我々は自分にとって重要ではない多くのものを無視したり深く考えないことによって認知資源を節約している。しかし、自分にとって重要なものごとについても、この節約思考がしばしば適用される。例えば認知資源が枯渇しているときである。無ければ使うことができないというわけだが、自分の認知資源がどれくらい残っているのかを数量化して確認することができないため、これに気づくことは難しい。
この他にも、もっともらしい答えが提供されている場合や、その答えを提供しているのが行政機関などの信頼性の高い団体あるいは大学教授などの専門家である場合など、様々な要因によって節約思考が用いられることがわかっている。
認知バイアス
上記で示したゴルフクラブの広告の例でもわかるように、我々は見たものをそのまま受け入れるわけではなく、入ってきた情報に意味づけを行い取捨選択し、既存の情報と比較したりすることによって判断を行っている。これらの認知プロセスでは、外部から入ってきた情報に特定の歪みや偏りが生じることがわかっており、この歪みや偏りは認知バイアスと呼ばれる。
現在では様々な認知バイアスが知られているが、中には認知資源の節約だけが原因ではないものもある。自己保身のために情報が歪められることもあるし、喜びや恐怖といった強い情動の変化によって重要な情報に注意が向けられなくなることもある。また、国や宗教あるいは学校や会社、コミュニティーなどの自分が所属する集団の文化や環境に起因するものもある。
- 『社会心理学 (New Liberal Arts Selection)』 有斐閣(2010)
- 『Social Psychology: Goals in Interaction (6th Edition)』 Pearson(2014)
- 『心理学 (New Liberal Arts Selection)』 有斐閣(2004)
- 『パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解』 培風館(2010)