友人関係の目的

私たちは、ひとりの相手にさまざまな関係を求めたりはせず、多くの人と異なる関係を結んでいる。仕事の相談をする相手、恋愛の相談をする相手、上司や部下の愚痴を言い合う相手、趣味の話をする相手など、目的によって相手を変えている。つまり、その関係性に何を望んでいるかが異なるわけであるから、別の関係から同じものが得られたとしてもその価値は異なるはずである。例えば、恋愛の相談をした相手に仕事のアドバイスをもらっても、今のあなたにとってその価値は低いだろう。なぜなら、あなたは仕事に関して悩んでいるのではなく、恋愛に関して悩んでいるからだ。

このページでは、関係の種類による動機づけの違いについて見ていく。


情報を得る

私たちは、他者と会話をすることでさまざまな情報を得ている。相手の表情やしゃべり方、仕草などももちろん情報に含まれるが、親密な関係を築く上で重要な要因となるのは会話の内容である。もし会うたびに同じ話をされたら、うんざりして親密な関係を築きたいとは思わないだろう。つまり、自分の知らない新しい情報を提供してくれる人と親密な関係を築きたいと思うのである。

私たちがなぜ新たな情報を求めるのかについては、フェスティンガーの社会的比較理論がいくつかの答えを提供してくれる。この理論によれば、人は自分の能力を評価したいという欲求をもっているが、客観的な評価指標をもっていない場合、他者と比較することでこれを満たすという。つまり、社会の中での自分の立ち位置を把握するために他者から情報を得ようとするわけである。

社会的比較理論のもうひとつの仮定は、自分と似ている人と比較しようとすることである。例えば、あなたが社会人の草野球チームに所属しているとして、アメリカのメジャーリーグで活躍する選手と比較しても能力に差がありすぎるため、自分の能力がどの程度なのかを把握するのに参考になることは少ないだろう。自分の能力と近い人と比較することで、自分の立ち位置を正確に把握できるのである。この仮定は、自分と似ている人に魅力を感じる要因のひとつともいえる。

ただし、自分と似ているかどうかについての感じ方はかなり主観的であり、そのときの気分や文化によっても異なる(自己評価自己動機などを参照して欲しい)。また、情報を得るという観点から見ると、状況における類似性に関しては別の見方もある。あなたが何らかの問題を抱えている場合、同じ問題を抱えている人から情報を得るよりも、その問題を乗り越えて解決したことのある人から情報を得たほうが有益であろう。

自己開示

その人自身に関する情報というのは、その人かその人のごく身近な人物からしか聞くことができない分、テレビや雑誌で伝えられるスポーツや経済ニュースよりも希少性は高い。

自分自身に関する情報を相手に伝えることは自己開示と呼ばれる。社会的浸透理論では、最初は表面的な浅い自己開示から始まり、親密度が増すにつれてより深い自己開示へと変化していくとされる。これは、親密度が増すと互いに相手を信頼し、見栄を張ったりする必要がなくなるためであると考えられている。

また、自己開示には返報性の原理が働くことが知られている。相手から自己開示をされると自分は信頼されていると理解するため、自己開示した相手に好意を持ち、自分も相手に対して自己開示を行うようになる。

自己開示の返報性は、好意を持っている相手に対しては積極的に自己開示を行うのが良いことを示してはいるが、自己開示には良くない側面もある。個人情報の流出や誹謗中傷といった問題であり、信頼していた相手によって自分の情報が拡散されることにつながる可能性がある。

このような背景もあってか、自己開示の程度は人によって異なることがわかっている。これは日常経験からも伺えるが、初対面の相手に対してどんどん自己開示をする人がいる一方で、かなり長い付き合いになってもなかなか自己開示をしない人もいる。これにはいくつかの要因が考えられているが、そのひとつに社会的承認欲求の強さがある。承認欲求が強い人は他者から認めてもらうために、自分にとって肯定的な情報を他者に話したがるため、自然と自己開示の量が増えると考えられている。この他にも社会的な不安の強い人は、上述した個人情報の流出や誹謗中傷を恐れて、自己開示の量は減ると考えられる。客観的にみて悪い情報ではなくても、不安傾向の強い人は否定的に解釈する傾向があるため、自分のことを話したがらないということも挙げられる。

自己開示の量は、個人の要因の他に男女による違いもある。一般的に、男性は個人的でない話題について話すことが多いが、女性は個人的な人間関係についての話をすることが多い。男性が狩りなどで外に出ている間、女性は周りの家族と親密関係を結ぶことによって生存に有利になるといった進化的な背景があるのではないかと考えられている。

地位を得る

男性のアイデンティティーが仕事での地位などに基づいていることが多いのに対し、女性のアイデンティティーは仕事と親しい人間関係の両方に基づいていることが多い。これは、男性ホルモンであるテストステロンが男性の方が多く分泌され、競争的になりやすいためだと言われている。

一般的に、組織に属する人は上司の意見に同調しやすい。これは従属的関係性にあるという理由だけではなく、上司に好かれようとして積極的に同調しようという理由もある。上司と親密な関係を結ぶことで、出世を有利しようというわけだ。このような傾向は、地位が重視される日本では特に強くなる。ナカオの研究によると、アメリカ人と日本人に自分と同じ組織に属している人を評価してもらうと、アメリカ人は自分と地位の近い同僚を最も好んだのに対して、日本人は自分よりも高い地位の人を好んだという。

物的資源を得る

貨幣の普及によって現在では少ないかもしれないが、昔は漁師や農家などそれぞれが得意なものを育てたり採ったりして、物々交換など個人間の交易が行われていた。その過程で友人関係が築かれることも多かったと思われる。現在でも、お金と物の交換によって親密な関係へと発展することもあるとは思うが、その多くが組織化され集団との取引となっているため、物の交換による個人間の友情は昔よりも少ないのではないかと考えられる。機械的に交換が行われるスーパーマーケットやコンビニエンスストア、インターネット通販などで親しくなるのは特に難しいだろう。

資源を得るという目的から友人関係が築かれることに関しては近年の環境を考えると、単純な1対1の関係よりも集団の中での関係や集団間の関係から発展することの方が多いだろう。

社会的交換モデル

フィスクらは、人間社会における他者との関係性は4つの基本カテゴリーに分けられ、それぞれ異なる社会的交換ルールを適用しているとした。その4つとは、共同分配関係、権威序列関係、平等調和関係、市場価格関係である。

共同分配関係は、集団内のすべての成員が、集団の資源を共有したり平等に分け合うというルールに従っている関係で、家族関係に多い。権威序列関係は、集団内の地位に従って資源や権限、尊敬などが得られる。企業や政府、警察組織に多い。平等調和関係は、平等かつ調和的に資源を分配する。共同分配関係と似ているが、平等調和では個人の資源を分配するため、個人間での返報性の原理が働く。例えば、旅行先で買ったおみあげを、ルームシェアなどで共同生活している相手や近所の友人などに分け与える場合などである。市場価格関係は、投資した量に比例した報酬を受け取る関係性である。店やインターネットで物やサービスを購入する場合の多くがこの関係性である。

どの交換ルールが使用されるかは、個人的な性向と状況による。共同分配志向の強い人でもお金を払わずに店においてある商品をもっていったりしないだろうし、権限などに関しては権威序列志向をもつ人でも、集団の資源は平等に分配すべきだと考える人もいるであろう。

どの交換関係においてもある種の友人関係を築くことは可能だと思われるが、多くの研究から、あまり知らない相手には市場価格関係のルールに含まれる衡平の原則を使うことがわかっている。逆に親しい相手には共同分配や平等調和関係のルールに含まれる平等の原則を適用する傾向がある。この結果の解釈についてはいくつか考えられるが、市場価格志向の強い人はあまり親密な関係を望んでおらず、適度な距離を保とうとしていると考えられる。つまり、物的資源を得ることが動機になっている場合には、親密な関係は築きにくいのではないだろうか。

情緒的安定を得る

人間関係は情報や地位、物的資源を得るためだけにあるわけではなく、情緒的安定という側面もある。落ち込んでいるときや不安なときには誰かに頼りたいと思うし、地震や洪水といった自然災害などで恐怖を感じた直後に親や友人を見かければ安心する。このようなとき、たとえ知り合いではなくても、誰かがそばにいるだけでホッとするものである。

ウィスマンとクールの研究では、実験参加者の学生たちを「自分が肉体的な死を迎えるときに何が起こると思うか」を考えさせる群と「テレビを見ることについてどう感じるか」を考えさせる群に分けた。その後、グループ討論のために部屋に集められたが、このときテーブルの片側にぽつんと1つだけ置かれたイスに座るか、もう片側に集められているイスに座るかの選択肢が与えられた。すると、テレビを見ることについて考えた学生の多くはひとりで座ることを選んだのに対し、死について考えた学生の多くはまとめて置かれたイス、つまり近くに人が来ると思われるイスに座ったのである。

ある研究によると、社会的相互関係から排除されると、身体的な痛みを感じたときと同じような脳の活動パターンをみせるという。自分が死ぬということは、社会的相互関係を断たれるということでもある。まとめると、人は社会的な孤独感や不安や恐怖などを感じると、人との絆を深めようとする動機づけとなる。そして、身体的な痛みを感じたときにも同じような動機づけが起こる可能性が考えられるため、自傷行為によって他者の注意を引くことは、人とつながりたいという気持ちをさらに高めてしまうことが示唆される。

健康を得る

情報や物的資源などを得ている人がいるということは、当然ながらそれを与えている人もいるということである。情報や物的資源を交換している場合には、両者ともにそれらを得ているわけであるが、中には見返りを求めずにそれらを提供する人たちもいる。これは人とのつながりができることによって、上記で示したような情緒的な安定を得ているという側面もあるが、他にも自尊感情や自己効力感が高まるという要因もある。

自尊感情とは「自己動機」のページでも述べたように、自分自身を肯定的に捉えることであり、人が心身ともに健康で積極的な社会生活を送る上で重要なものであると考えられている。もうひとつの自己効力感とは、バンデューラが社会的学習理論を発展させていくときに生まれた概念であり、特定の状況下で必要な行動を、自分はうまく実行できるという期待である。自己効力感が高まるほど目標レベルが高まり、目標追求へのコミットメントが強くなる。逆に自己効力感が低下すると、行動への不安感が高まり、不安を低減させるための回避的な反応が多くなる。また、自己効力感が極端に低くなると抑うつ状態に陥りやすくなることも示されている。

物的資源の交換では、互いに納得できるように調整が行われるわけだが、必ずしも自分の思い通りに進むわけではない。このような観点で見ると、見返りを求めずに情報や物的資源を提供することはある程度思い通りに進むし、何かをもらって嬉しくない人は少ないだろうから、相手の喜ぶ姿を見ることによって自己効力感は高まりやすいと考えられる。また、社会的に良いことをしているという感覚も得られるため、自尊感情も高まりやすいといえる。

「情けは人の為ならず」というが、人のために何かをすることは、健康な社会生活を送るというもっと直接的な報いを受けているといえる。


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