ガリレオ・ガリレイ

〜真実を疑うな、常識を疑え〜

ガリレオ・ガリレイは実験結果を数学的に分析するという手法で、様々な発見をしました。また、ガリレオは哲学や宗教から科学を切り離すことに大きく貢献したことで、現在では「科学の父」と呼ばれています。

振り子は揺れの大きさにかかわらず往復する時間は同じである、という振り子の等時性の発見。

アリストテレス以来「重い物体は軽い物体より速く落下する」という考えが常識となっていましたが、ガリレオは実験により、物体が自由落下する時の時間は質量に依存しないとし、さらに落下時の距離は落下時間の2乗に比例するという落体の法則の発見。

物体に外部からの力が加わらなければ、物体はその運動状態を保とうとする慣性の法則の発見。

船などの等速直線運動をする乗り物の上で物体を自由落下させ観測者が同じ船の上にいる場合、陸上で物体を自由落下させ観測者も陸上にいる場合と同じように、(観測者の視点で見ると)物体は真下に落ちる。上記は一つの例ですが、一般に慣性系(等速直線運動をする座標系)において同じ物理法則が成り立つというガリレオの相対性原理の発見など数え上げると、きりがありません。

そしてガリレオは望遠鏡の発明を知り、それを改良し、いち早く天体観測に取り入れました。望遠鏡で見た宇宙は、古代ギリシャ以降2000年近く信じられてきた「全ての天体は地球の周りを回っており、完全なる球体である」という宇宙像とはかけ離れたものでした。月にはクレーターがあり、太陽には黒点、さらに木星には衛星があったのです。天動説が優位であった理由の一つに「太陽の周りを地球が回っているなら、月は軌道を保てずに飛んで行ってしまう」というものがありました。しかし、木星の月が見つかった今、天動説にもこの問題を解決する必要が出てきたのです。

ガリレオは金星の満ち欠けについても観測を行いました。コペルニクスの「天球の回転について」には地動説が正しければ金星はこのような満ち欠けをする、という予測がかかれており、ガリレオの観測結果とも一致しました。

このときすでに地動説を信じている科学者は増えていましたが、カトリック教会や一部の天文学者からは「精度が良くて便利ではあるが、現実の世界を表してはいない」「望遠鏡で見た世界は虚像にすぎない」などの批判を受けました。それでも地動説を主張し続けたガリレオや他の科学者に対し「地動説を信じることは異端である」とし裁判にまで発展しました。その後、コペルニクスの地動説を論じることは禁止となり、「天球の回転について」は一時閲覧禁止措置が取られたのち、単に数学的な仮説であるという但し書きが付け加えられました。

ガリレオはその後も地動説に関する研究を辞めることはなく、「天文対話」という本を執筆しました。1632年「天文対話」は教皇の交代などもあり無事出版することができましたが、翌年の1633年、ガリレオはローマへの出頭を命ぜられ2回目の裁判を行うことになり、そこで有罪判決を受けました。裁判所に出席した人物の中にはガリレオに対して同情的な人々もいたことで、ガリレオは無期軟禁となりました。

ガリレオはやがて両目の視力を失いましたが(望遠鏡の見過ぎとされています)、それでも弟子や息子などに口頭筆記をさせ研究を続けました。そして1642年にガリレオは亡くなり、同年イングランドでアイザック・ニュートンが生まれました。

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